「いいんですか?アヌビトゥーラ。今日は哨戒飛行の当番じゃないのに、勝手にシムーンを飛ばせて来てしまって。」
「構わんさ。帰ったら、飛行練習をしてました、とでも言えばいい。」
「でも、許可を取ってないんでしょう?それにこんな夜に。それこそ帰ったらデュクスにうんと叱られますよ。」
「なんだ?グラキーアは怖いのか?君は案外臆病なんだな。」
今日は昼の任務に回っていたコール・テンペストは、本当なら非番だった。
サジッタのグラキーアは、軽い疲れを覚え、早めに休んでいたところを、パルであるアヌビトゥーラに夜の無断飛行に付き合わされて、少々不機嫌な様子である。
「怖いわけじゃありません。ただ私は、きちんと許可を頂いてから飛びたかったんです。もう、いっつもこうなんですから、あなたは。」
「そうふくれるなって・・・・・・それより、おい、グラキーア。下を見てごらん!雪だ。大分積もってるぞ。」
「まあ!本当だわ。これが雪なんですか?・・・・・・なんてきれい!話には聞いていたけど見るのは初めて。」
「グラキーアは見た事がないのか。それにしても見事な雪景色だな。同じ宮国とも思えん。」
「ええ?まだ宮国なんですか?私はてっきり、国境を越えて嶺国に領域侵犯してしまったんじゃないかと、内心ヒヤヒヤしてたんですよ。」
「あははは・・・・ほら、やっぱり怖いんじゃないか。大丈夫さ、まだ越えてないよ。付近ではあるがね。」
「ああ、良かった!だって、無断飛行の上、敵軍と一戦交える事になんかなったら、審問会ものですからね。」
「うん、それも悪くないな。こちらが犯してなくても、あちらさんが越えてくる可能性だってあるんだしな。どうせなら。」
「いやです!もう、あなたがアウリーガだと本当に命がいくつあっても足りませんよ。」
「そう言うなって。しかし、少し冗談が過ぎたようだな。では初雪も拝んだ事だし、仰せの通り帰るとしようか。」
気もそぞろのグラキーアに従い、アウリーガのアヌビトゥーラが方向転換をしようとした時だった。
「アヌビトゥーラ、ちょっと待って下さい。下に誰かいますよ。何か様子がおかしいわ。」
グラキーアの制止する声にアヌビトゥーラは、ゆっくりと機体を下降させて行った。
「どうやら、女の子のようだな。ん?どこか具合でも悪いのか?じっとしたまま動かないようだぞ。よし!グラキーア、降りるぞ。」
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そこは一面の銀世界だった。
深々と音もなく降り積もった雪が、顔を出し始めた月の光を受けて銀色に輝いている。
温暖なシムラークルムの中でも、嶺国との国境に位置するここナポス村は、冬ともなれば見事な雪景色に姿を変える。
ただ、そこに暮らす者にとっては、厳しい寒さと雪との共存を余儀なくされるから、そう安穏な事も言ってはいられない。
ナポス村の少女リデールは、降り積もった雪の中でうずくまっていた。
家路を急ぐ途中、雪の中から僅かに露出した切り株に気付かず、思いっきり転倒してしまったのだ。
何とか起き上がろうとしたが、足を痛めたのか激痛が走る。
動く事も難しく、ただこの場にじっとしている他はなかった。
「どうしよう・・・。痛くて立てないわ。もう!こんな所に切り株なんて・・・・・。早く家に戻らないといけないのに。」
そうこうしているうちに夜の闇が迫り、寒さも増してきた。
怪我をした足も痛み、冷気で体温も奪われてゆく。
助けを呼ぼうにも、辺り一面は雪野原で人の姿など見えようはずもない。
「あたし、このまま死ぬのかしら?・・・・・・いやよ!こんなところで。ああ、神様。どうぞ助けて下さい。」
リデールはもはや祈るしかなかった。
眠気も襲って来る。
もうだめかと諦めかけたその時、まるで沈黙を破るかのように、一機のシムーンが上空に現れた。
そしてなんと、自分に気付いてくれたらしく、こちらに向かって降下してくるではないか。
リデールは、祈りが聞き届けられたとばかりに、虚ろになった眼で、その救いの主を見上げた。
「雪の天使さま」
雪原に降り立つシムーンから現れた二人の姿を認めると、そうつぶやいた。
「あなた、大丈夫?どこか具合でも悪いの?かわいそうに。すっかり冷え切ってしまってるじゃないの。」
リデールの肩を抱き、その背中を摩りながら、グラキーアが訊ねた。
「どうやら、足を痛めてるようだな。君、名前は何と言うんだい?女の子が一人で、こんな雪の中を危ないじゃないか。私はアヌビトゥーラ。」
「私はグラキーア。怪しいものじゃないわ。私達はシムーン・シビュラよ。飛行訓練の途中であなたを見つけたの。」
「あたしは、リデールと言います。姉が高熱を出して、村はずれの医院で薬をもらって帰る途中でした。急いでたら切り株に足を取られて転がってしまって・・・・。足をやっちゃったみたいなんです。早く家に戻らなきゃ・・・・姉さんが待ってる。でも、痛くて歩けない・・・・。」
二人に介抱されて安心したのか、リデールは堰を切ったかのように泣き出した。
「ああ、泣かなくても大丈夫だよ。私達が君の家まで送ってあげるから。さあ、私に負ぶさるんだ。グラキーア、手伝ってくれ。この子なら、サジッタ席に乗れるだろう?」
「ええ、大丈夫だと思います、もう一人くらい何とか。リデール、ちょっと狭いけど、我慢してね。」
「すみません。」
二人はサジッタ席にリデールを乗せると、いつものようにパルのキスを交わし、シムーン球へと移す。
まもなくその球は鮮やかな緑色の光を放ち、神の乗機は空に舞い上がって行った。
「何てきれいなのかしら。」
一連の光景をリデールはただうっとりと眺めていた。
リデールの家に着くと、彼女の祖父が出迎えた。
アヌビトゥーラに背負われた孫娘の姿を認めると驚いた様子だったが、今までのいきさつを知ると深々と頭を下げた。
「孫の危ないところを助けて頂き、ありがとうございました。シムーンの巫女様に救って頂いたとは、リデールは何と幸運な事でしょう。」
「いえ、そんな、当たり前の事をしただけですから。どうぞ頭を上げて下さい。それより、早くお姉さんに薬を飲ませてあげて下さい。」
ひたすら頭を下げ続ける祖父に、二人は恐縮して答えた。
「おお、そうじゃった。ドゥルキス、ほら熱さましの薬だ、飲みなさい。リデールが貰ってきてくれたよ。巫女様達が危ないところを助けて下さったんだそうだ。」
「ありがとう、おじいちゃん。巫女様。妹の危ないところを救って下さって、何と感謝したら良いのでしょう。リデール。足を怪我までさせちゃってごめんね。今日は大事な日だったのにね。あなただけでも参加して欲しかったけど、その足じゃ無理ね。」
ベットの上から礼を言うのは、姉のドゥルキス。
「何か大事なイベントでもあったんですか?いや、立ち入った事を聞くべきじゃないかな?」
気になったアヌビトゥーラが訊ねた。
「いや、いいんですよ。今夜はナポス村の雪祭りがあるのです。毎年、少女2名が雪の天使に扮するのですが、今年はこの二人に白羽の矢が当たったのです。ところが今日になって上の孫娘が熱を出しましてな。一向に下がらず、午後になって高熱になりまして。見かねたリデールが解熱剤を貰いに、雪の中を出かけてくれたという分けなのです。危ないからと止めたんですが。」
「だっておじいちゃんじゃ、もっと心配だもの。雪祭りは残念だけど来年もあるし。それより姉さん。あたし、シムーンに乗せてもらったのよ。空を飛んだの。夢みたいだった。足が痛いのも忘れちゃったもの。」
手当てを済ませ、暖炉の前で温まっていたリデールは、すっかり元気を取り戻したようだ。
「それは残念だな。雪の天使か。君達なら良く似合うだろうね。私も見たかったよ。」
アヌビトゥーラがパチッとウィンクしながらリデールに言った。
「そうだ!おじいちゃん。雪の天使の衣装届いてるでしょう?、ここへ持ってきてくれない?あたし、いい事考えたの。」
「ああ、来てるよ。ちょっと待っておいで。」
リデールはアヌビトゥーラとグラキーアを、楽しそうに眺める。
二人は、何が始まるのか?と顔を見合わせていた。
「ほら、これじゃよ。しかし、不参加になったものを、今さらどうするんだい?」
「リデール、何を始める気なの?私達はもう着てもしょうがないのよ。」
「着るのはあたしたちじゃないの。巫女様達。お願いがあります。」
「は、はい何でしょう?あたし達にできる事なら。」
グラキーアが不思議そうに答えた。
「もちろん、できます。お二人にこの衣装を着て欲しいんです。」
「はあ?これを私達が着るのかい?確かに素敵だが。しかし、君達なら似合うと思うが、私にはどうかな?」
アヌビトゥーラは自分には似合うはずもないと思うのだった。
「リデール。確かに可愛くて素敵な服だと思うけど、私達が着て、どうするの?」
それは、雪の天使に相応しい、純白のドレスだった。
「私達の代わりに、雪の天使になってもらえないですか?お二人ならとっても似合うと思うんです。サイズもあたしと姉ので、ちょうど合いそうだし。」
「リデール。巫女様方に失礼よ。あたし達の代理をお願いするなんて。ほら、困ってらっしゃるわ。」
「とっても似合うと思うんだけどなあ。きっと、今までの誰より美しくて、天使にぴったりだと思うんだ。だめですかあ?」
リデールのあまりに残念がる様子に、グラキーアが口を開いた。
「私達はもう帰らなければいけないの。お祭りに参加するのは無理だけど、着てみるだけなら。それなら良いですよね?アヌビトゥーラ。」
「あ、ああそうだな。着るだけだぞ。それならいいだろう。」
「やったあ!着てくれるんですね。嬉しい。お二人の天使姿、絶対似合いますよ。」
リデールは天にも昇らんばかりに舞い上がっていた。
アヌビトゥーラはしぶしぶと、グラキーアはけっこう楽しそうに着替えを済ませると、3人にお披露目をした。
「おお!これは・・・・・・。本物の雪の天使が舞い降りたようじゃ。」
「本当に、なんて素敵でしょう。歴代の比じゃないわ。私達だけ拝見するなんて光栄だわ。何だか熱も下がってしまいそう。」
「ね!だから言ったでしょう。あたしの目に狂いは無かったわね。ね、ね。写真を撮らせて下さいな!」
乗りかかった舟と、二人はこれも承知すると、ささやかな撮影会が始まった。
「私は、写真は苦手なんだがな。」
と言いつつ、アヌビトゥーラも満更でもない。
「リデール。お願いなんだけど。今日の事はここだけの秘密にしておいてもらえる?私達がシビュラだって事も。」
はしゃぐリデールに釘を刺すようにグラキーアが頼んだ。
「わかってます。秘密ね。うん!その方が何だか素敵!今夜の事は5人の胸の中に・・・・ですよね。」
「ええ、そうしてくれると、とてもありがたいわ。」
「では、雪の天使もお迎えした事だし、祭りのささやかな料理もあります。召し上がって行って下さい。」
リデールの祖父は二人に食事を勧めた。
夜も更けて、そろそろ帰り支度を始めた二人にリデール達は惜しみながらも別れを告げる。
「お二人共、今日は本当にありがとうございました。孫を助けて頂いたばかりか、私達に至福の時まで下さった。感謝致します。」
「今日の事はあたし、一生忘れません。ありがとうございました。」
「本当に妹がお世話になりました。どうぞ、お気をつけて。お二人の上にテンプス・パティウムのご加護がありますように。」
「こちらこそ楽しかったですよ。生まれて初めて雪を見る事ができたし。お食事まで頂いてしまって、ごちそうさまでした。」
「雪の天使にさせられるとは思わなかったがね。二人とも、お大事に。来年こそは君達がやるんだよ。」
「はい。きっと。」
雪の夜空にシムーンは飛び立って行った。
隣国との戦いが本格化するまだ少し前、ナポス村の人々が、普通に雪祭りを楽しんでいた頃の、そんな雪の夜話。
二人が宮国の誇るコール・テンペストのレギーナとそのパルであった事は誰も知らない。
ただ、雪祭りの夜に舞い降りた二人の天使の話は今に言い伝えられている。
の碧衣 悠 様より頂いた寒中お見舞いです。
一人で眺めるにはもったいないとのお願いに、快く受けて下さってのUPです。
悠様の描かれるアヌビトゥーラはとてもカッコ良く、グラキーアは可愛くて癒されると、思うのです。悠さま、わがままを聞いて下さってありがとうございました♪
二人にニマニマしていたら、お話が降って来ました(笑)
もしもあったらな〜の小話。お読み下さる方はスクロールをどうぞ♪
終
『 舞い降りた雪の天使 』